左右若老場

政治・思想・経済等への雑感を吐いていくこの上なく面倒で不要な場とその主

集団的自衛権のあれそれ

猫も杓子もといった具合に集団的自衛権の話題である。

確かに日本としては重大な事柄ではあるが、毎度の通りなにか一つの話題があると皆一様に同じ事しか報道できないメディアの愚直さに呆れるのがまず第一だ。部数が稼げ視聴率が稼げという利益追求の姿勢はまだ仕方がない、彼らとて(公明正大なジャーナリズムと騙っているが)商社と変わらない。売れるものを売らなければ破産するのだから。だが議論を深くするでもなく、各社で担当記者や社の意向を受けた言論を如何に世論にすり替えられるかに終始し、記者クラブで得られた内容を三日も四日も繰り返し、十把一絡げの市民の声とやらを暗唱させるつもりか連日流している。そこに新鮮な報道などはなく、言うなれば昨日も一昨日も同じ数式を学ばされているようなものだ。どうせ同じなのだから一度作ったニュースを延々再放送していても良いのではないだろうか。

 

せめてここだけは建設的に行こう。

集団的自衛権の是非そのものは各所で右も左も解説してくれているだろうから置いておいて、集団的自衛権をでは実際に賛否それぞれで論じてみようと思う。

集団的自衛権の議論は極論すれば、それが戦争になるか否かの問題だ。そこでまずは戦争になるという考えから語ってみよう。

 

集団的自衛権を採択する。この場合、戦争になる道は幾つか言われている。

・最もメジャーなのはアメリカの戦争に付き合わされ巻き込まれる場合。

・次にこれをとっかかりに軍国主義化し侵略戦争をする場合。

主にこの二つだろう。

前者は想像しやすい。集団的自衛権が問題なく行使できるようになれば、アメリカがまた911のような事態になった時に、同盟国として戦地に赴くということである。法的な根拠は日米安保第五条の共通の危機への対処だが、日本国の施政の下にある領域におけるいずれか一方に対する武力攻撃に対してのもので、米国本土は一応含まれていない。もっとも日米安保は有力な根拠であるというだけで、サマーワにおける後方支援のような形での参戦を拡大して前線に、という可能性はある。

だが現在の集団的自衛権の議論では、日本国や日本国民に対しての危険に関しての発動という方向で進んでいる。きちんと運用されていれば無闇な自衛権適用とはならないのだが、米国の圧力が云々と言ってしまえばおしまいでもある。

もっとも米国の圧力を語るならば、集団的自衛権の行使が許されていないとされていたイラク戦争時に、すでに後方支援という形で出張っている。直接敵を倒すばかりが戦争ではない、こうした細々とした支援もまた重要で、実際敵方から見れば銃を持っていようが薬を持っていようが敵なのである。ただし後方支援とされるような場所は当然、最前線よりはいくらか安全であるのだが。

第一に戦争もまた政治であることをどうにも理解していない。湾岸戦争で金だけ出しても無駄だという事実一つで、実際に行動することの大切さはわかる。そもそも逆に言えば多国籍軍国連軍で血を流している国は戦争大好き野郎だとレッテル貼りをしていることに気づかないのだろうか。気づかないのだろう。

この手合のは、日本は平和主義だから信頼されてるという。具体的にその信頼とやらはどこからも得られていないのではないだろうか。一度でも銃をつきつけたら信頼は得られない、そんなことはない。現に第二次世界大戦で戦った日米がそうであるし、イギリスもフランスもそうである。そうでないのは日本を敵とすることでまとまっている隣国ぐらいである。

参戦することの意味は置き、では実際アメリカの戦争に追従しなければならないのか?

条件付きでイエスである。

まず言えることは、集団的自衛権を拒否したところで後方支援など何らかの形でアメリカの戦争には関わることになるということだ。これは集団的自衛権を採択して酷くなるかといえばそうではない。

自衛隊には海外で戦争できるような余力はない。最前線で戦える経験もなければ、装備も予算も無いのだ。これから準備されるというかもしれないが、増大する福祉予算と緊縮財務省の壁を防衛予算が超えられる可能性は極めて低い。少なくとも財務省は説得できたとして、今ですら大多数を占める高齢有権者社会福祉を蹴れば確実に選挙で落ちるだろう。そんな危ない橋を極右政治家とやらの為に大多数の政治家が渡るわけはない。

同様の理由で次の軍国主義化も無理な話だ。大体、軍国主義化とはなにを示すのだろうか。大日本帝国のイメージだろうが、軍人が大臣の席にあったという以外は議会制民主主義の範疇である。治安維持法特高徴兵制大政翼賛会などなど挙げられるだろうが、治安維持法共産主義者の拘束を目的にしており国民の思想や反政府活動まで広げるとなると、そもそも結社の自由や思想の自由といった現憲法に反するので立法できない。憲法改正にこれだけ難儀している中、それら自由権憲法から消せるのだろうか?

特高についても同様だ。拷問などは憲法で禁止されており、またその役割についても公安が現に存在する。公安が今まであったのに今更恐怖する理由はないし、もし公安の権限拡大をするにしても警察内部での権力争いを制する必要がある。

徴兵制は割愛するが、徴兵制には結構な予算が必要なこと、今の兵隊の動きは最低でも数年の訓練が必要になること、そして財務省福祉予算。これらでわかるだろう。

大政翼賛会。これは政党ではなく結社であり、院内会派といった枠組みすら超えた議員参加の政治支援団体といえばわかりやすいだろう。後進が空襲対策、食糧増産といったいわゆる銃後の守りを担った国民義勇隊という組織であることからも、単なる政治団体ではない国体に関わるものだというのがわかる。目的は議会を円滑に進めるための単独政党政治を目指してのものだったが、実際にはより大きな組織となった。当時は主要政党が自発的に解散しての参加だったことからも、政党政治とはかけ離れた存在である。もうお分かりだろう。こんな政党が解散するような組織が誕生する時があれば、そんなのはとっくに軍国主義になっている時である。だいたい多くの政治家がこれに参加したのは、つまり選挙に勝てるからだ。国民から圧倒的に支持されていたからだ。極右政治家の暴走の産物とは言い難い。

以上の点を踏まえれば、日本の軍国主義化が荒唐無稽であるのは理解できるだろう。第一に、お隣にずばり大政翼賛会の目指した一政党による独裁と、政治と軍事が密接に繋がり、また思想統制や徴兵制もやっている国があるのだが、そちらは軍国主義ではないのだろうか?

 

まとめると、集団的自衛権を否定してもアメリカの戦争には巻き込まれる(巻き込まれてる)が、様々なハードルから先陣を切るような真似は極めて難しい。そして集団的自衛権を肯定しても、同様にハードルが高すぎて軍国主義化は困難である。

 

では逆に集団的自衛権を肯定する側で見てみよう。

集団的自衛権がないと他国の船に乗った日本人を守れない。

・アメリカに向かう弾道ミサイルを迎撃したり、海外派遣時の駆けつけ警護のような人道的な防衛もできない。

前者は日本国憲法にもあるように、国民の生命を守るためで可能に思える。だがこの場合、船という器を見るか中の人を見るかで解釈が分かれる。前者なら他国を守ったということで個別的自衛権とは言い難く、後者ならば緊急避難や在外邦人の輸送で適用できそうだが、それを実施するには自衛隊の管理下に置かれなければならないので民間客船はともかく米軍輸送艦のような他国の管理下に置かれているものに対して適用できるか微妙である。また日本国内でもし米軍に輸送されている民間人という場合は、国民保護法関連を軽く見たがどうにも緊急避難にかかりそうな武器使用の基準が見当たらない。

後者は当然、どう解釈しても集団的自衛権になる。個別的自衛権ではこれを防ぐことは出来ない。駆けつけ警護は現在の自衛隊では認められておらず、民間外国人が虐殺されようと外国のPKO部隊が攻撃されようと援護もできない。場合によっては戦闘地域として撤収しなければならない。

つまり前者についてはまだ個別的自衛権の解釈で可能だが、後者は無理となる。逆に言えば集団的自衛権とは、他国を守るためには必須ということだ(当たり前だが)

 

では後者を拡大解釈していけば911のような時にアメリカと共に戦地に赴くか?

これはもう前述している通りである。集団的自衛権があろうがなかろうが同じだし、前線に立つようなことは様々な条件から極めて難しいと。

ただ当然だが地道な効果はある。ミサイル防衛に関係してアメリカ行きの弾道ミサイルを迎撃することも可能だし、PKO活動中に近くの民間人が襲撃されているのを人道的見地から助けたり、同じく活動している他国が襲撃されたら援護程度はできる。むしろこれらをやらないということは、アメリカ市民が何人死んでも良いし、目の前の民間人が殺されるのを見届けるだけで、同じく活動していた他国の軍人に無駄な血を流させるということだ。当然、これらをやらなければ自衛隊員が死ぬリスクは抑えられるだろう。だがその先にそれらの国が日本をどう見るか、どう対応するかを考えれば、つまりは日本人にどんな被害が来ても他国を救うなということになる。平和主義での信頼とやらが憎悪にしかならないのだ。

 

これらを考えていけばわかる通り、集団的自衛権を行使可能にするということは、日本と他国との関係を悪化させないためのものである。行使できないまま自国のみに専念しても誰も尊敬してくれないし、それはつまり国連軍のような活動についても同様に不参加か、文官の派遣に留めるということだ。それで良いじゃないかと思うが、現実には日本は国力で世界の十指に入る大国である。その大国が平和主義を盾に他国にばかり苦労させることが決して尊敬されないことは、繰り返すが湾岸戦争での扱いで示されている通りである。大体協調性を死ぬほど重んじる社会を形成しておいて、いざ国際の舞台では協調しないとは蔑まれるものでしかない。

 

だがここまで書いておいて集団的自衛権に私は賛成かといえば、難しい。

それ自体は構わない。軍国主義化などという妄想もない。だが、今論じられている限りの集団的自衛権の運用では、片手落ちなのだ。集団的自衛権の行使のステップ1だと思えば納得しないこともないが、それにしても集団的自衛権の要である上述した他国を守るという部分を徹底的に封じているのが頂けない。

我が国の存立が脅かされ、国民の権利が覆される明白な危険がある場合にのみ認められるなど、限定的すぎて国際貢献や海外派遣をまったく見据えていない。ここを踏み台に解釈でPKO派遣の武器使用基準を緩和するなどならわかるが、この分では流れを作ったに留まりそうだ。政治的妥結ではあるが、本質を欠いた今の状況は稚拙にすぎる。なにが稚拙か? こんなこともわからず、ただ軍国主義の幻に囚われる平和ボケの政治家が、だ。

 

戦争をしないに越したことはない。だが思考停止でラブ&ピースを語る愚かな輩の所為で死んでいく外国人、そしてその余波で損害を被る日本人が哀れだ。

平和主義を掲げながらそれに従わない人を攻撃する彼らが、彼らの所為で守れなかった人々から糾弾された時に果たして目が覚めるのだろうか? 極右と認定して殴りかかってくる姿が容易に想像できる。