左右若老場

政治・思想・経済等への雑感を吐いていくこの上なく面倒で不要な場とその主

労基法は時代に合わないのか

数多くの人が労基法ブラック企業について言及している。

中にはデータを取り揃えた上でそれこそ論文のようなきちんとした形でまとめている方もいるであろう、なのでこれから語ることは既に手垢に塗れていて一見の価値も無い。

さてワタミやゼンショーと並んでその手合で著名なのはエムグラントフードサービスである。社名の馴染みはないが、ステーキハンバーグ&サラダバーけんと聞けばピンとくるだろう。ふらんす亭なども経営しておりそちらの方を目にする人もいるだろう。

ここの社長の雉も鳴かずば撃たれまいはお馴染みだが、歯に衣着せぬ物言いに賛同する人も少なからずいると聞く。実際、発言全体を見れば頷ける部分もあるにはある、というより一から百まで頷けないというのはそう無いものだ。嫌いな人間が言ったからといって1+1=2に変わりはない。

さてこの度は労基法にこの社長が不要だのなんだのと、これ自体は以前から言及している通りでぶれない姿勢と言っていい。業務内容は様々であり労基法の実態がそれに合わないというのが氏の原理だが、今回はそれに+して労基法が必要な人間は会社に不要だと言っていた。

労基法では週40時間労働と定められ、別に労使協定を結ぶことで協定の範囲内で残業を可能とする。個人商店でもなければ就業規則の形でバイトでも一日何時間残業することがあるなど目にすることもあるだろうし、労組がある会社の正社員ならある。無いと労働者側ではなく雇用側が残業の根拠がなくなりまずい、というかこの労使協定(三六協定)さえあれば残業させても違法行為にはならないので契約させるのが自然といえる。その結果、残業が恒常的であっても違法になり難いのだが。無論、協定があっても残業代は当然払うものでありサービス残業は違法なのだが、実態はお察しの通りである。

さて会社にとって必要な人間は、つまりそれだけ会社で働いてほしい人材でもある。残業が出来なくて8時間で帰宅してしまうのは惜しいとも言える。会社にとっては(特に正社員は)複数雇用するより少ないほうが賃金は少なくて済むし、引き継ぎなどなしに継続して働けばそれだけ物事を把握しているので使いやすい。

さて件の社長の発言に語られる会社に不要で労基が必要な人がどういったものか、前後の発言を鑑みるに一言で言えば会社に貢献する気がない人なのだろう。奉仕と言い換えてもいい。

会社の情報は公開されているし残業の発生なども知られている、なのに就職を希望するのは労働者側の責任であるし、入社してから実態を知って嫌になったのなら辞めて他に移れば良い。それでも会社にしがみついて挙句に労基法を盾に未払賃金だのと言うのは烏滸がましい、という所なのだろう。

確かに人々には職業選択の自由が保証されているし、訴えねばならぬほど疲労や残業代が溜まる前に辞めろというのは一見すればその通りである。入社してきた側が元々ある会社のあり方に文句を言ったり、また業務形態として労基法通りにならないのはわかるはずだ。

と、いうのは分かっているのかいないのか、見過ごしている点があるのに気付く。

集約すれば、金を払いたくないのである。

会社に必要な優秀な社員には労基法が必要ない。そうだろうか?

確かに会社に貢献してくれて何時間も働いてくれる優秀な人はありがたい、が、だからこそ見合うべき賃金というものがある。そりゃ会社の経営状態考えるともらいづらいという町工場の職人のような事情はあるかもしれないが、会社としては残業代払えないような経営状態の時点で健全ではない。人件費以前の問題があるとしか思えない。

だいたい優秀な人間ほど適切に扱われるべきである。優秀だ便利だだからといって酷使して使えなくなった時、会社としては代わりを見つければいいだけなのだろうが、それは結局便利な使い捨て要員であって必要な人間という言葉が薄ら寒いものであることに気付く。

先述したように、会社に必要な人間には労基法が必要ないというのは、労働者当人の枷になってるからなどという理由ではなく、本質は如何に安く使い潰すかに他ならない。優秀な奴隷というわけである。

確かに労基法が些か問題になるようなことはある。会社にとって本当に不要な人間でも、おいそれと解雇できないということはある。だがそれも結局、労基法の責任ではなく会社の責任な所を放棄しているに過ぎない。訴えられたらどうしようという恐れ=賠償金の請求やイメージの悪化から解雇しやすいようにという考えだが、そこは争う他仕方がない。辞めさせなければならないほどの輩を辞めさせるのにダメージを受けなくてはならないというのは癪に障るだろうが、しかしそれを見抜けなかったのは雇用側であるし、入社当時はそうでなくても時間とともに腐っていった場合、それを辞めさせるのに納得させるよう努力するべきは雇用側だ。労基法の問題などに転嫁して企業の責任=金払いを渋るのは責任逃れに他ならない。大体、辞めさせても問題ない(問題を起こさない)普通の人を辞めさせるのが昨今の企業だが、手切れ金を渋った結果が業務効率の低下やサービスの低下である。僅かな損を嫌って会社に不要な人材を残しているのだから仕方がない。

労基法にも問題はある、がそれは時代に沿わない労働時間などの話ではない。三六協定に見るような残業の常態化に言及するなど、実態に合わせるのではなく実態を改善させる方向での問題解決を図っていくべきだ。決して企業の愚かな価格競争や奴隷化を時代の名の下に追認することではない。

必要な人材には見合った報酬を。不要な人材には恐れず辞めさせる決断を。

機械化とマニュアル化が進めたのは個人の効率化ではなく普遍化であり均質化である。コストカットで職人を作り出すのは馬鹿げているし、その職人を奴隷化しようとするのはもっと馬鹿げている、が現実に社会ではこうなりつつある。

消費者側にも責任の一端はある。24時間のサービスや即日配達、どこでも変わらぬホテルマン接客に売り切れを我慢できない品揃え、そうした便利な生活が犠牲の上にあることを踏まえて、いくらかの所で不要な豊かさを捨てていく考えが必要だ。

鎖国していない以上、国内企業がそうあっても海外企業が進出し人の犠牲の上にそうしたサービスを仕掛けてくるに違いないから、そうは言ってもままならないのだが。

正月に開いている店などなく、スーパーが週に一度は休んでいたような時代。都内の道路が未舗装だった時代ではなく、高速道路も新幹線もある時代でそうだった時もある。一億総中流と呼ばれた時代、心は今より豊かだったと思われるがさて物質的には貧乏だっただろうか。