左右若老場

政治・思想・経済等への雑感を吐いていくこの上なく面倒で不要な場とその主

東京都知事選挙が終了してと原発

衆・参議院選挙のように第何回という言い方をしないようで、2014年東京都知事選挙という言い回しになる。数えれば第十九回目となるわけだが、日本の首都における首長を決定するということで毎回注目されるものである。人口で考えても一千万人の有権者数を誇る東京は、日本の有権者総数がおよそ一億人ということを鑑みれば大きな影響力を持つと言える。

面白いことに歴代の都知事を見ていくといずれも無所属らしい。国会でも都議会でも自民党が有利であり舛添要一氏も元自民党議員であるから公認されても問題なさそうに見えるが、そこには無党派層に入れやすくさせたり、自民だけでなく公明にも各種支援が可能なようにという戦術があるらしい。

長く都知事にあった石原慎太郎氏が引退し副知事として石原路線を継承した猪瀬直樹氏が辞職したその後の選挙ということで、石原色から抜けた新しい都政の形を見ることになるはずだった今回の選挙。青島幸男タイプか美濃部亮吉タイプかといった、つまり他者を批判するパフォーマンスで相対的に票を獲得するか、充実した福利厚生を謳ったバラマキで票を獲得するかという様相になる可能性を私は考えていた。しかし実際には時事問題として原発が(無理矢理に)争点にされた感となり、それに伴ってか各候補者も(一部を除き)原発など現実を見据えた公約を掲げて勝負に出てきた。その結果、原発については少なくとも即時廃止という路線にはならなかったわけだが。

さて東京都の現状を見るに、問題視すべきは2020年の東京五輪への準備や老朽化したインフラ整備、首都直下型地震や富士山噴火への備え、労働者の雇用と賃金の格差問題、待機児童問題、そして電力供給問題であろう。

 

はっきり言って東京都がどう動こうと基本的には東京都内の範囲でしか動けないのであり、例えば横浜のどこぞに新しい道路を作るなどというのは当然論点にはならない。無論、都知事として東京都内の問題に関連して周辺各県と協力して何かをするという方向であれば論点に入らなくもない。例えば埼玉にある工場の煤煙が流れてきてひどいからこれを協議して解決する、といったものが該当する。

しかし、原発を存続するか廃止するかというのは話が違う。確かに東京は(東京電力では)新潟県福島県原発からの電力を消費しており、まったくの他人事ではない。しかし実際に立地しているのはいずれも都内ではなく、その建設許可も当然東京都が決めたものではない。ということは、廃止させるにしても国か県か電力会社自身かが動く必要があるわけだ。

ここで東京都の選挙で本来、原発について論点にしても意味が無いことはわかる。だがまったくの無意味ということではない。最初に述べたように一千万の有権者の意見というのは日本国の世論にも影響力は当然あるからだ。

都知事選挙で十万票以上を獲得した四候補の結果を単純に原発の是非だけで見ると、存続派が五割、廃止派が四割といった感じだろう。これは私は日本の世論に近いように思う。まだ日本としての原発の是非はまとめきれていない。

福島原発の事故については、根本的には東日本大震災という未曾有の大災害が原因であることは誰もが理解しているはずだ。しかし事故調査に伴い明るみになってきた東京電力のお粗末さに不安も覚えている。そして長い時間がかかる廃炉作業にも、原発のリスクというものを認識した。だが原発が無くてもなんとかなるというものでもない。現状は節電や延命などの無理をした状態で辛うじて支えられているというだけで、まったく電力危機は脱していない。

現代社会を支える上で電力の安定供給は必須で、しかし原発は危険で、さてどうするか?

原発維持派の考えは簡単で、つまり今まで通りを続ければ良いというものだ。福島原発で何が問題だったかは粗方検証されており、対策さえしっかりとすれば同規模の事故は防げる。問題点はまた福島と同規模以上の事故が発生したらということだが、それに対して維持派は起きた場合でも可能な限り最小限の被害に留める対策法を講じるぐらいしかない。

原発反対派の考えは困難だ。代替手段を考えなければならないが、多くが主張する自然エネルギーの活用は様々な問題を孕んでいる。研究はすべきだが現時点ではすべての原発の代替にするには建設地・費用・安定性の観点から問題点が多い。従来の火力発電を新設するのは堅実であり原発分を賄うことは可能だろう。だが現在でも燃料費が問題になっているように人々への負担は大きい。自然エネルギー発電への繋ぎと考えても数十年は化石エネルギーの多大な消費と電気代の大幅な値上げに耐えなければならない。節電は確かにやらなくてはならないが、原発分を帳消しにするほどの節電となると少なくとも街頭テレビやイルミネーションといったものを楽しむようなことは無くなるだろう。

私自身は実は原発の維持派というわけではない。福島原発の状況を見るに非常電源などの対策は取れるだろうが、それを運用する側の意識が足りない。これは東電特有の体質というのではなく、日本社会によくある「何かあった時の責任」問題にある。対策マニュアルや非常時の訓練はやるべきだが、まず社内でそういう危機管理意識が忌避される傾向にある。そういったことをやると縁起でもない、という馬鹿げた考えが蔓延してるし、考える事自体が不謹慎だみたいな言い方をするのだ。突き詰めれば対策を講じることによるコスト、そして担当者の負担という、やらなければ余計な仕事も費用も増えないという考えだ。

社内だけの問題ではない。周辺住民を始めとする外部の目、というものがある。非常時の訓練をやって、するとまるで事故が起きたかのように騒ぎ立て問題視するというものだ。これの根底には対策をする危険なものがあるという意識部分にある。

原発でそのまま例えよう。原発の事故時の訓練をやったとする、すると周辺住民はそこに危険なものがあると再認識させられる。すると急に不安になったり、建設時の反対派がチャンスとばかりに攻撃をしてくる。些細な不安や解決済みの問題を騒ぎ立てることで、また相手から優遇してもらおうという考え方で、特にこれには原発に反対する団体や政府などを口撃したいマスコミが煽り立て拍車をかける。周辺住民ならば説明会や軽い接待で終わるのだろうが、こうした団体やマスコミには当然騒いでほしくない、そうなると向こう側の担当者は場を収める金や謝罪といった手段に出て、騒ぎ立てる彼らは経済的或いは思想的な満足を得る。そうでなくとも、自身の存続理由として何かの批判をする口を見つけることに躍起になってるのだから、はっきり言って臨時収入が無かったとしても騒ぎ立ててその日の活動日誌を埋めるぐらいは彼らはしたいのである。

こうした問題にしたくない/問題にしたい連中が蔓延って未だに存続している中で、原発を維持することには危機意識がある。原発の技術自体は、老朽化している現在の原発をさっさと稼働停止にして代替として最新技術を用いた原発をさっさと作れと言える程度に信頼している。だが運用している体制、そして周辺に巣食う人々の劣悪さが問題だ。

 

今回の都知事選が終わって、さてその政権を運用する体制そして体制を見守る人々の程度がどうあるか。私はあまり期待していないが、良くあれと願いたい。