左右若老場

政治・思想・経済等への雑感を吐いていくこの上なく面倒で不要な場とその主

差別と区別と偏見と

なんともつまらない見出しだが、そもそも差別などというものが根本的にくだらなくつまらないのだから仕方がない。しかし世の中にはありふれたもので、たどっていけば結局人間それ自体がくだらないのだと言うことになるが、もう少し踏み込んでみようと思う。

最近の日本では嫌韓デモに始まる在特会としばき隊がよく聞かれ、差別問題といえば右も左もこちらの方が口に出るだろう。両者ともに問題はあるが、現実に分が悪いのはしばき隊である。というのもしばき隊の行動が理念と一致していないというのが一番にある。

この所ネットを騒がせているのはしばき隊創設者にして代表者のオタクへの偏見と差別発言であるが、団体構成員が言っただけなら個人と逃れられるが代表者からしてすでに差別を許さないという姿勢からかけ離れている点で、その程度が知れる。差別主義者と黒人が嫌いだというジョークがあるが、まさにそれを体現しているだろう。

在特会は一方で一貫している。というのも簡単な話で、しばき隊の言うところのレイシストがそれに反するならば反レイシストな行動を取るものだがそれはまず無いからだろう。

両者は異質なようでベクトルは同じようなものである。大なり小なりの差はあるが、根本としては特定の存在(人に限らず)を排除しようという試みで動いているからだ。だからこそ、根源が排外主義者なのにそれを否定することを謳うことが極めて困難であることが分かるだろう。

無論、それが不可能というわけではない。かつてのインド独立に際しての非服従・非暴力は一件相反するようで可能なことである。もちろんその背景には暴力も政治もあったのだから全てではないし、いわゆる差別とは異なるものだが。

さて、では在特会としばき隊と、この二つの差別団体が今後およそどのように活動するべきなのだろうか? 真っ当な考え方からまず始めよう。

 

在特会はそもそもその名の通りいわゆる在日特権の排除が目的である。それ以外にも様々な右翼的と称される政治的発言も行っておりまとめて思想団体となりつつもあるが、発端であるこの特権部分を解決すれば粗方はそれに伴い片付くだろうと思われるものだ。

実際に在日特権なるものがあるかと言えば、特別永住者という資格からして特権と言えるが最も懸念されているのが免税などの優遇策である。これらは確かに逆差別といえるもので、日本人や他の外国人同様の水準に戻すべきであるのは明らかだ。

在特会はこの本来主張すべき点についてを政治の場で行うべきなのだ。デモ活動は市民による平和的政治発言表明方法の一種ではあるが、残念ながら日本におけるそれは有効とはいえない。やったという実績はあるべきだが、デモをした所でマスコミが報道しなければ無いも同然であるし目撃する大衆も腫れ物に触る扱いでまず影響力が無いからだ。無論、マスコミが気に入ればたった十数人規模のデモですら全国ニュースになれるのだが。

だからこそ、在特会を一定の支持母体として政治団体を作り上げ政治の場を戦いの舞台とする必要がある、というのも法治国家だからだけではなく結局は権力が幅を利かすからだ。こうした特権などはまさに政治が取り扱ってる部分が大きいもので、法律なり条例なりで対処すべき部分だろう。

 

しばき隊はどうするべきか? 彼らの原則はレイシスト(差別主義者)を許さないことであり、革マル派などと決別し本来組むべきである国際的な反差別団体と連携して、日本国内だけでなく国際的な反差別団体として動くべきだろう。またその組織についても現在見る限りでは子供の集まりに過ぎず、これを役職や行動範囲を決めた組織としてきちんと統制すべきだろう。

彼らの目的は現在の所、在特会への対抗というものだが、その行動についても厳格にしなければならない、というのもカウンターデモを主眼としているが当然デモ活動には許可が必要であり、差別主義者に対向するためなら集団で行動を無許可占拠しても良いということはない。そもそもデモ活動そのものは法律で認められており、その妨害はやってはならないのだ。

しばき隊としては少人数で在特会のデモ活動を監視し、いわゆるヘイトスピーチが行われているのであればそれを記録して動画なりで公開したり、在特会に対し組織として抗議書簡を送るなど、つまりは行動の妨害ではなく元来主張すべきヘイトスピーチに限った制限をさせていくべきなのだ。その上で問題行動が露呈すれば、被害者と共に裁判を手助けするなり、警察に通報するなりといった、在特会に対するオンブズマン的行動をすれば良いのだ。

では政治に在特会と同じく食い込めば、というのはこれは難しい。人権擁護の促進といった物は政治として主張できるが、特定層に対する差別禁止というのも逆差別になるからだ。やるならばどの層に対する(在特会に対しても)ヘイトスピーチも許されない、という立場から立法していく必要があるが、ドイツにおけるユダヤ人やナチスの扱い、或いはアメリカにおける黒人の扱いのようなものを日本で形成していくには経験が足りない。また先述したように実際に存在する逆差別などの問題も解決する必要があるのだが、それをさて彼らは解決する気があるのかが問題である。

 

さて真っ当な意見はここまでにして、すべてをぶっちゃけていこう。

 

在特会にしてもれば長年鬱憤の積もった在日特権に、日本を衰退させるような左翼売国奴全般について排除すべきというのが本音だろう。ならばやはり、政治を握って特別永住者資格を剥奪すればそもそもの在日という存在そのものが日本からは消えるので前者は解決する。後者の多くは分が悪くなれば身を潜めるだろうが、これも裁判を起こしまくってどんどん中核派なりの団体が暴力的で違法な存在としてしまえば、かなり減らせるだろう。もっとも地下に潜って革命を標榜するテロ団体になる可能性が高いが、それは取り締まっていくしか無いだろう。些か物騒な日本になりそうだが、かつての連続企業爆破事件が起きたような時代に戻ったと思うしか無い。

 

しばき隊はどうするべきか。簡単である、レイシスト反対ではなく正しく気に食わない物反対を標榜して先鋭化していくべきなのだ。中途半端に平和主義や博愛主義を謳うから矛盾が生じるので、彼らなりの価値観と行動基準に照らし合わせて彼らなりの住み良い世界を目指すことを目標としていけば良いのだ。

さりとて自由主義を通り越した自己中集団に組織だって政治だのをするのは困難といえるだろう。反原発を代表するあの議員ですら好き勝手に行動する、には至ってない。それも当然で政治の世界に入ったならばそこでの権力をまず握らなければならないという手間がある。好き勝手に行動したいが第一の彼らには例え議員となれたとしても大変息苦しく鬱憤が貯まるだけだろう。

そうした長期計画ではなく行き当たりばったりで好き勝手をすればいいのだ。団体を名乗ってもそれは組織ではなくグループの名称としてで、何人かのリーダーがいればLINEなり個人的繋がりを利用して行動していける。あとはもう自由に気の向くままに、だ。彼らの根っこは政治や思想ではなく気に入らないものを排除したいというものであり、後は暇さえあればストレス解消に釘バットでも火炎瓶でも各自持ち寄せて現地集合、とすれば良い。犯行予告も出さず個人間で連絡していけばおよそ始めのうちは妨害もされないだろう。在特会のデモが気に入らなければトラックを借りて突っ込んだり、オタクが気に入らなければキモオタ排除を叫びながら秋葉原で暴れたり、腹が減ったら高そうな店に集団で押し寄せ無銭飲食し難癖つけて逃げたり。批難されればレイシストなり極右なり。逮捕されれば切り捨てようが不当逮捕だ言って警察署を燃やすなり。そうやって差別を魔法の言葉にして好き勝手やる集団というのが、彼らが目指すべき本来の姿なのだろう。と私は思う。少なくとも今までの行動で彼らに理念や遵法精神があるようには見えず、彼らの正義(欲望)に従って勝手をやってるようにしか見えない。

 

そんな迷惑集団がのさばる世界は真っ平御免だが、ここに書かれたことが現実になりそうな冗談みたいな世の中である。